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アイビーとVAN、そしてみゆき族の足跡を辿る。【速水健朗の文化的東京案内。銀座篇③】|Pen Online

西岸良平のコミックを原作に、戦後の東京下町に暮らす人々を描いたシリーズ第3作。東京オリンピックが開催された1964年を舞台とし、「みゆき族」の他に「3C(カラーテレビ、クーラー、自動車)」の登場も描かれている。『ALWAYS 三丁目の夕日’64』監督/山崎貴 出演/吉岡秀隆、堤真一ほか 2012年 日本映画 DVD/東宝

さて、みゆき族。『ALWAYS 三丁目の夕日’64』の中に、1964年のみゆき通りがセットで再現される。見どころはもちろん、登場する人々の服装だ。映画では、若い医者を演じる森山未來がヒロイン役の堀北真希に”みゆき族”の説明をする。そんな彼自身も大きなVANのロゴが入った紙袋を抱えている。マドラスチェックの3つボタンジャケットにボタンダウンシャツ、ニットのタイ。ズボンの裾は短く、茶色のローファー。一方、映画でエキストラとして登場するみゆき族たちは、半ズボンのバミューダパンツやマドラスチェックの半袖シャツを着ている。

みゆき族が持っていたのは、ズタ袋といっていい布製の袋だった。この辺りはトラッドとは反する。これはフーテンバッグとも呼ばれた。みゆき通りにたむろしていたのは、おもには10代で、人数は最大時で2000人いたともいわれる。『族の系譜学』( 青弓社 2007年)の著者である難波功士は、「皆すべてがアイビーであったわけではなく、『アイビー調』ですらないものも多く混在していた」と指摘する。
『アイビーの時代』(河出書房新社 2001年)の著書がある、元ヴァンジャケットのくろすとしゆきも、みゆき族は「アイビー風ニュー・ファッション」であり、別物だという。
当時のみゆき族の大多数は高校生。VANは高価だったので、亜流でアイビー風を装っていたのだ。映画『ALWAYS 三丁目の夕日’64』での森山はアイビー青年。エキストラの人々はみゆき族とそうでない者を描き分けている。よく観るとサンダル履きもいる。

実際に銀座の街を闊歩していたみゆき族。細く絞ったマドラスチェックのジャケットやレジメンタルタイが特徴的だ。(c)kyodonews/amanaimages

みゆき族のブームは短く、64年5月からのわずか半年足らずだったという。その間、新聞、週刊誌はずっとみゆき族バッシングを行っていた。「彼らは特になにをするということなく、ただ銀座の街をうろついていた。疲れると歩道にしゃがみ込んだり、店のウインドーやビルの壁にもたれかかり立ち話をしたり、喫茶店で何時間もおしゃべりをした」(『VANから遠く離れて』佐山一郎著 岩波書店 2012年)のだという。
映画『ALWAYS 三丁目の夕日’64』の中でも、堤真一演じるスズキオートの社長が「最近の若いもんはしょうがねえな。やっぱり戦後生まれはダメだ」とみゆき族を報じるテレビのニュースに向かってどやしつける場面がある。いまとなってはどれが悪いとも思えないが、東京五輪の直前に東京のクリーンアップ作戦の一環として“みゆき族一斉検挙”が行われた。

軽佻浮薄な服装の反抗的な若者と見なされていたみゆき族。1964年の夏には、東京オリンピックに向けた街のクリーンアップとして200人ほどが警察により一斉検挙された。写真:毎日新聞社

64年、現『GQ』編集長の鈴木正文氏は15歳だった。毎日のように銀座に通っていたひとりだ。鈴木氏の著書に当時のスタイルに関する記述がある。「シアサッカーのジャケットを着込み、半袖の白いオクスフォード地のボタンダウン・シャツにレジメンタル・ストライプのネクタイを合わせて、ダークブルー地に地味なマドラス・チェックを入れたバミューダ・パンツをはいて銀座に出かけるのが、僕の得意なセルフ・デザインだった。ブラウンのペニーローファーは、言うまでもない必須のアイテムだった」(『○まるくす×』鈴木正文著 二玄社 1995年)

バミューダ、つまり半ズボンである。バミューダやマドラスチェックは、VANが流行らせた風俗。鈴木氏はいまでも半ズボンを穿き続けているが、みゆき族時代の名残なのだろうか。「若者はモノを単にモノとして消費するのではない。モノの向こう側に何かしら流動する精神を見る」という。消費世代。旧世代からは軽薄な世代と思われたが、消費だけでは切り取れない新しい時代の精神をもっていた。銀座が戦後の影など見出すことができないほどにモダンな街だったから、みゆき族は銀座の街に集まった。そして、そこには彼らの世代にしか見えない銀座の姿があったのだろう。

1981年に撮影されたテイジンメンズショップ銀座本店。2階に入っているのは、66年にオープンしたVANが営むレストラン「スナックVAN」だ。マクドナルドの進出前からハンバーガーを販売していた。

鈴木氏は、5年後には新左翼系学生組織の一員として新宿騒擾や東大安田講堂事件に参加することになる。銀座から新宿、神田へ。「流動する精神」は移動した。当時のマスメディアがみゆき族を持ち上げ、叩き落としたのは、上の世代にとって、戦後生まれが自分たちとは違った価値観をもつ「恐ろしい子どもたち」だったからだろうと鈴木氏は語る。学生運動(70年安保)もまた彼らの世代のものだった。

「マスコミがみゆき族を非難したのは、単に不良少年然としていたからではなく、彼らが国家的なプロジェクトの心臓に、短剣を突き刺すような真似をしていたからだった」というのは、『AMETORA』(DU BOOKS 2017年)の著者のデーヴィッド・マークス。日本人が海外の訪問客に見せたかったのは、復興した東京の随一の繁華街としての銀座の姿であって、そこを塞ぐ“反抗的なティーンエイジャー”はむしろ見せたくなかったのだ。

銀座からみゆき族が消えた後もアイビーブームは続く。むしろ、アイビー全盛期は60年代半ば、みゆき族のすぐ後にやってくる。一方、芸能人や富裕層階級の子弟御用達の高級ブランドだったVANは、低年齢向けのブランドとして方向転換していく。VANの広告を一手に引き受けていたメンズファッション誌『メンズクラブ』を時代で追ってみると、70年前後にネクタイやジャケットのラペルが太くなっているのが見えてくる。細身だったパンツの裾も広がっていった。そして、70年代半ばには、カジュアルアウトドア志向の「ヘビーデューティ」の時代がやってくる。『メンズクラブ』がヘビーデューティ特集を組んだのが1976年11月号だ。

くろすとしゆきらがアイビーの起源を伝えるため、アイビーリーグの学生たちを撮影した『TAKE IVY』(林田昭慶、石津祥介、くろすとしゆき、長谷川ポール元 ハースト婦人画報社)。1965年に発刊されたこの写真集は2011年に復刊。

VANの倒産(1978年)は、経営者一族の浪費や人件費、コスト管理の甘さなどが要因だったといわれる。VANは70年代には、アメリカのカレッジスポーツのスタイルを推していた。この時代に生産された在庫が、僕が子どもの頃に見たワゴンセールのVANだったのだろう。

現在は、むしろアイビー再評価の時代である。90年代に日本に留学生としてやってきたデーヴィッド・マークスが日本のファッション史に興味をもち、なぜアメリカで廃れたトラッドスタイルが、この国で愛されているのかを描いた『AMETORA』の日本版が2017年に刊行。11年には写真集『TAKE IVY』が復刊されている。再評価は、それ以前から始まっていた流れだろう。一方、いまの銀座の街にみゆき族の痕跡はない。一斉検挙の碑くらいあってもいいのではないか。「戦後世代の文化生誕の地」として。

3回の連載で、60年代、70年代、そして80年代初頭までの銀座について触れてきた。追ってきたのは、大人の街としての銀座の姿ではなかった。結局終始したのは、戦後生まれの団塊世代にとっての銀座である。かつて銀座は若者の街だったのではない。あの世代にとっての“場所”が銀座だったのだ。そんな気がしてきた。

かつての若者たちを魅了し、メディアとしての機能をももっていた銀座の街を振り返ってみたい。
現在、多くの人々に親しまれている銀座ソニーパークには、2017年までソニービル(①)が立っていた。ショールームという概念がなかった開業時の60年代、このビルの存在自体が画期的なものだったという。
銀座を語る上で外せないのが、和光ビル(②)。当連載で紹介した『野獣狩り』『月光仮面 THE MOON MASK RIDER』他、これまで数々の映画で銀座を象徴する建物として描かれている。
さらに、広告史の転機となる名CM「モーレツからビューティフルへ」の舞台となったのは、松屋銀座(③)前の通り。ここでもやはり、社会に向けたメッセージを発信する場として銀座が選ばれたのだ。
また、『月光仮面 THE MOON MASK RIDER』で月光仮面が現れたのは、銀座コア(④)の屋上だ。1971年、ファッションビルとして銀座に誕生したこのビルは、当時普及し始めていたシースルーエレベーターが道行く人の目を引いた。
中央通りの歩行者天国(⑤)は、1970年当時はまだ新しかったカップヌードルを「立ったままでも食べられる」と広めるために試食販売が行われた場所。まさに広告塔の役割を担っていた。
そして1964年、ズタ袋を抱えてボタンダウンシャツやバミューダパンツに身を包んだ、みゆき通りにたむろする10代の若者たちはみゆき族(⑥)と呼ばれた。彼らがその新たな身なりから、新聞や週刊誌から日々バッシングを受けつつも、存在したのはたったの半年足らずだった。
老舗が残りつつも、大型商業施設も増えて外国人観光客であふれる現在の銀座。60年代~80年代の銀座は若者の街というよりも、団塊世代が憧れ、盛り上げてきた街だったのかもしれない。

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