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米国で核を描く美術家 | NHK | WEB特集

米国で核を描く美術家



「意識していなかった原爆ドームのイメージが、突然、自分の描く絵に現れた。それから核兵器をテーマにした作品を描くようになった」

突然、導かれるように核兵器をテーマにした創作を始めた、ニューヨーク在住の日本人アーティストがいます。原爆を体験した人が年々減っていく中、遠い出来事だと感じている人にも、核兵器や戦争の問題をアートの力で伝えようとしています。
(社会部記者 富田良)


Gaku Tsutaja

その美術家の名前は、“Gaku Tsutaja”。

どう読めばいいのか戸惑うかもしれません。

蔦谷楽(つたや・がく)さん(47)。

東京生まれで、東京の大学で絵画を学んだあと、アートユニットを結成して映像やパフォーマンスを取り入れた作品を発表。

2006年以降は、アメリカで創作活動をしています。

国籍や性別を感じさせないために、名前の最後にある「ya」を、あえて「ja」に置き換えた表記を使っています。

原発事故の記憶

蔦谷さんが核兵器をテーマにした作品を作るようになったのには前史があります。

2016年、蔦谷さんは、通い始めたニューヨーク州の大学院で、福島の原発事故をモチーフにした絵画を制作しました。

東日本大震災の発生時、アメリカにいた蔦谷さん。

テレビで地震や津波、それに原発事故の様子が映し出されていましたが、日本にいる家族や友人となかなか連絡がつかず、みんないなくなってしまうのではないかという恐怖を感じたと言います。

それから5年たち、福島の復興作業に従事する土木技術者の父親から、電話で福島の様子を聞きました。

蔦谷楽さん
「黒いバッグに放射性物質が入っているとか、それも破られて木の芽が出ているとか、イノシシが走り回っているとかいった様子を父から聞いて、2011年に感じた恐怖や雰囲気を思い出しましたが、それ以上に自分がそのことを忘れていたことが結構ショックだったんですよね。

5年が経過しても原発事故による影響が続く福島についてちゃんと自分で調べて作品にしないといけないと思ったんです」

そして、福島に取り残された動物たちが、人がいなくなった場所から脱出する方法を話し合うというファンタジーの要素を盛り込んだ作品ができあがったのです。

突然、原爆ドームが

その作品の制作からほどなく、別の作品を作っていたときでした。

制作していた作品は、アメリカ在住の日本人だというアイデンティティーの自分を、外来種の鳥に見立てて、イラストで物語を組み立てるというものでした。

そのとき、自分の描いた絵の中に、突然あるイメージが浮かび上がりました。

それまでほとんど意識したことのなかった原爆ドームのような形の建物でした。

蔦谷さん
「自分で何も考えずに絵を描いてて、そしたら建築物がドームの形になって、こんな建物は日本になかったよなと思ったら、『あっ、広島の原爆ドームだ』って。

それで原爆ドームについて調べているうちに、原発事故と原爆が実はつながっていることなんだと分かって、核兵器のことを調べ始めたんです」

蔦谷さんは、導かれるように核兵器をテーマにした創作にのめり込んでいきました。

蔦谷流「核の描き方」

蔦谷さんは、核兵器を描くに当たって、これまでほとんど関心のなかった核の問題について知ろうとリサーチを始めました。

被爆者の証言を聞く。

原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」を展示する博物館や核開発に関わった施設などを訪問。

専門家や研究者たちから話を聞いて回りました。

アメリカでも核開発の際に起きた放射性物質による汚染によって苦しんでいると訴える人たちがいることなど、作品作りのために、およそ4年間調べました。

そして、おととし(2020)、蔦谷さんは核兵器に関する作品を毎日1枚ずつSNSで公開するというユニークな方法で、47点の作品を発表。

風刺の要素を盛り込み、劇画のようなイラストで、核の歴史やあまり知られていなかった問題を表現しました。

マンハッタン計画での原爆の開発や、プルトニウムの精製工場、アメリカ軍による原爆投下、そして、被爆した広島の悲壮なイメージ。

登場する人物は、顔が動物や昆虫などに置き換えられています。

その理由を、蔦谷さんはこう説明してくれました。

蔦谷さん
「人々が被爆して大変なことになった日本がかわいそう、アメリカが悪い、いやそもそも最初に攻撃した日本が悪い、ということではない部分に注目してほしかったので、国籍や人種を感じさせないために動物や昆虫を使いました。

どの作品も、ぱっと見て悲劇っていうのは分かってもらえると思うんですけど、まず絵の魅力とかに引き込まれ、見ているうちに大変なことが起きていることがちょっとずつ分かるような作品にしています。時間をかけて歴史を見てもらう、そういう姿勢にしたかった」

原爆を投下したことによって、戦争を早く終結させることができたという意見が今でも根強いアメリカでも、蔦谷さんの作品は関心を呼び、ニューヨークを始め各地で個展が開かれるようになっています。

核、戦争 アートにできることを

いま、日本国内で初めての個展となる蔦谷さんの企画展が、埼玉県東松山市の「原爆の図 丸木美術館」で開かれています。

展示されているのは、核兵器の歴史を描いた絵画に加え、太平洋戦争中にアメリカ各地に作られた日系人の収容所と、広島と長崎で被爆直後に作られたバラック小屋を再現した建物にアニメーションの映像を投影した作品も。

空間全体で、戦争で起きた出来事を感じることができるようにしています。

企画展の来場者
「日本人がアメリカにいながら、アメリカがしたことを語るというのは大変だと思ったのですが、独特の世界観で、あたかもフィクションのように、けれどもリサーチにもとづいた事実を語っているのがすごいと思いました」

企画展の来場者
「悲しいものを表現しているんだろうなって心構えをしてきたんですけど、彼女のコミカルさやファンタジーなものが混在していて、すごくおもしろかったです。戦争や核兵器について調べてみようという気になりました」

核兵器や戦争に関心を持ってもらうために、アートが果たしうる役割は大きいと蔦谷さんは考えています。

蔦谷さん
「私も戦争に興味を持たなかった1人なので、どうして関心を持たないのかよく分かります。学校でも学ばないし、親も話してこなかったし、自分の周りにエンターテインメントがいっぱいあるので、あえて戦争について何かしようっていう人は少ないと思うんです。

でも実際に調べてみると、戦争の歴史っていうのは繰り返されていることが分かり、今読んでいる話やテレビから流れている物語が本当なのかとか、自分で判断できるようになるのがおもしろいと思えるようになるはずです。文化というサイドから、『なんか面白い』と興味を持ってもらえる作品を作ることがすごく重要だと思っています。

若い時って好奇心が旺盛なので、新しいことをすると飛びつく子もいる。私はその好奇心を信じています」

初めて被爆地・長崎で

今回、蔦谷さんは初めて被爆地・長崎を訪れました。

長崎市の爆心地から7キロほど離れた地域で会ったのは、いわゆる「被爆体験者」。

原爆が投下された当時、国が定めた被爆地域の中にいなかったために被爆者として認められていない人たちです。

その1人、長崎市東部の旧矢上村に暮らす、鶴武さん(85)。

当時8歳、自宅にいるときに原爆が投下されました。

地域は爆心地から山を隔てているため、原爆の熱線こそ届かなかったものの、強い光と強烈な風がやってきました。

そしてそのあと、灰や燃えかす、そして、放射性物質を含む、いわゆる「黒い雨」が降ってきたといいます。

鶴さん
「雨や燃えかすで汚れて、白のランニングシャツを着ていたけど、それがすっかり黒くなって」

蔦谷さん
「黒い雨ってべたべたしているって言っている人もいるんですけど、どうでしたか」

鶴さん
「べたべたしているかどうか、確認する気力もなかですよ。もう、この世はどげんなってるんやろか、と」

その後、鶴さんの周りでも若くして亡くなる人が相次ぎ、姉も27歳で亡くなりました。

体調不良に悩まされてきた鶴さんは、放射性物質を体内に取り込んだためだとして、国に対して救済を求めてきました。

しかし、同じ村だった隣の集落は被爆地域に含まれるのに、山の尾根の反対側に当たる鶴さんの集落は該当せず、現在も「被爆者」として認められていません。

鶴武さん
「これまで祭りや運動会を地域で一緒にやってきたのに、被爆地域に入っているかどうかということで区別されることに納得できんですのよ。私たちの集落も被爆地域にしてもらいたか、ということをとにかく言いたい」

熱心に耳を傾けた蔦谷さん。

現地に来なければ知り得なかった証言に触れ、記憶を伝えていく必要性を強く感じたといいます。

蔦谷さん
「現地で話を聞いてディテールを知ると、疑問に感じたり理解できなかったりする国の対応がどんどん見えてくるので、核兵器の歴史を作ってきたフィクションが明らかになっていくような感覚があります。

今でも補償されていない人たちがいるということは、自分たちにも降りかかる可能性がある問題で、そうした声が届かなければ、またいつか繰り返されてしまうかもしれない。こうした記憶を掘り起こす方法としてアートが機能し、もっと違う層に広がっていくための役割を果たせればいいなと思います」

「橋渡しになる作品を」

「なぜ」、「どうして」。

蔦谷さんは長崎滞在中、何度も口にしました。

あらゆることを吸収し、新たな創作につなげたいという強い意欲が見られました。

蔦谷さんは、かつての自分がそうだったように、原爆や戦争を遠く感じている人にも届く作品を作っていきたいと話しています。

蔦谷さん
「私みたいに広島長崎出身でもない、遠い人間が(日本とアメリカの)真ん中くらいに立って、どっちからも遠くて、どっちも知りたくて、どっちにも近づいていくという作業をする。私はたぶん観客の人、特に若い観客の人にとっては一番近い存在だと思うので、私がどう見て、何に驚いて、何を知らないのかっていうことを表現するのが大事だと思うんです。

(原爆や戦争のことを)知らない人たちのことが分かるので、いい橋渡しができる作品を作っていきたいですね」

蔦谷さんの企画展は10月2日まで開かれています。

社会部記者
富田良
平成25年入局
長崎局で原爆を中心に戦争関連の課題や文化財をめぐる問題点などを取材。科学文化部を経て社会部

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