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WIRED CAFE社長が語る「日本一のカフェを作った理由」(前編)|au Webポータル経済・ITニュース

楠本修二郎_1964年福岡県生まれ。リクルートコスモスを経て、93年大前研一事務所入社。2001年カフェ・カンパニーを設立、代表取締役社長に就任。「東の食の会」「NEXT WISDOM FOUNDATION」「フード&エンターテインメント協会」の代表理事、東京発の収穫祭「東京ハーヴェスト」の実行委員長なども務める。

文=川岸 徹 写真=松橋 晶子

 「WIRED CAFE」など全国約80店舗を展開するカフェ・カンパニーの代表であり、クールジャパン有識者委員や戦略事業 クリエイティブディレクターにも名を連ねる楠本修二郎氏。
このコロナ禍にあっても飲食業界の未来は明るいと話し、さらに高齢化、人口減少などの問題を抱える日本社会についても「豊かなコミュニティを再構築するチャンス」という。

彼のビジョンを生み出したカフェビジネスの原点とは。そしてその目が見据える未来とは?(川岸)

ビジネスの原点は米軍キャンプ

――楠本さんはこれまで自身が経営する飲食店を成功に導くだけでなく、地域全体を盛り上げ、カルチャーを作り上げてきました。「コミュニティ」を意識し始めたのはいつのことでしょう。

楠本:僕は幼少時代を福岡市の西戸崎地区で過ごしました。当時は米軍基地「キャンプハカタ」があって、よく基地に忍び込んだものです。

 軍人が暮らす古い住居が建ち並んでいましたが、老朽化でペンキがはがれ、薄汚い灰色をしている。でも、そこに西日が当たるとピンク色に染まり、何ともいえないいい雰囲気になるんです。今にして思えば、これが人々の暮らす場所、つまりコミュニティを意識するようになった最初の出来事だと思います。

 高校時代はバンド活動に明け暮れる毎日。それと、学園祭で発表するための映画を作りました。テーマは「喫茶店にたむろする若者たちの群像」。この時もコミュニティについて論理的に考えていたわけではなく、なんとなく人が集まるコミュニティ的な場所に惹かれていたんです。

――高校卒業後、早稲田大学政治経済学部へ進学。上京します。

楠本:兄が東京にいて、僕が福岡から東京へ出てきたその日に、六本木に連れて行ってもらいました。出かけたのは「Mr. JAMES」というライブハウス。どういうわけか、翌日からその店でバーテンダーのアルバイトをすることになってしまいました。

――アルバイトに明け暮れる日々?

楠本:大学の授業にはほとんど顔を出さず、「491」という企画集団サークルに所属し、イベントの企画や運営に熱中していました。六本木や渋谷のライブハウスやクラブ、バーなどと組んで、様々なイベントを仕掛けていました。

 当時、新宿の花園神社にあった「第三倉庫」というライブハウスには、マイケル・ジャクソンやマドンナといった世界的アーティストが招かれ、マイケルの接客は僕自身が担当したんです。

 そうしているうちに「491」はちょっとした有名サークルになって、「ホットコロッケ」というレゲエバーから「ジャパンスプラッシュという大型のレゲエライブイベントをやらないか」という誘いがかかりました。

 当時の日本では、レゲエの人気はあまり高くなく、ファンも少なかった。それでも思い切って引き受けると、1年目は客の入りがチラホラでしたが、2年目は晴海の屋外広場を人で埋め尽くすことができました。海外からの観客も多かったですね。ジャパンスプラッシュは15年以上続く人気イベントに成長しました。

飲食店が果たすべき役割が見えた!

――ジャパンスプラッシュの成功体験から、何が見えてきましたか。

楠本:1軒の店でも、世界的な広がりをもつ濃度の高いコミュニティを作り出すのは可能だということ。レゲエという偏愛性の高いジャンルでも、拠点となる場所を作ると世界中の人々とつながる面白いコミュニティができるんだと確信しましたね。

 熱量の高いリアルな場を自分自身の手で生み出したい。そう思うようになりました。

――進むべき進路が明確になったのですね。

楠本:「コミュニティの場づくり」をビジネスとしてしっかり学ぶため、卒業後は不動産ディベロッパーへの就職を希望しました。

 リクルートコスモスに入社しましたが、実務を希望したのに、配属されたのは広報部。しかも入社した年の6月には、未上場株の譲渡が問題となったいわゆる“リクルート事件”が起こり、社長室に異動になってしまった。それからは社長のカバン持ちが主な仕事です。実務とはさらにかけ離れてしまいました。

「場」の在り方によって人の関わり方も変わる

――楠本さんはリクルートコスモスを辞め、大前研一事務所に転職します。

楠本:大前研一事務所では、出張がとても多かったんです。日本を地域から元気にするべく47都道府県を訪問し、会員である経営者や会社員、学生など、幅広い方々と対話を重ねました。

 僕は地元である福岡と学生時代から過ごした東京しか知らなかったので、とても勉強になりました。全国各地には言葉、食べ物、気候など、多彩な地域特性が存在している。そして、それらの特性が混ざり合って日本という国が出来上がっているのだと、改めて気づかされたんです。

 地域コミュニティというベースがなければ、面白い日本なんてあり得ません。

――飲食店づくりに直接役立つヒントは得られましたか。

楠本:大前研一事務所では、もう一つ面白い気づきがありました。

 地域の方々と会議を繰り返し、熱い議論を交わし合う。その時は、たいていロの字状にテーブルを並べた会議室を使っていたのですが、徐々に議論がエスカレートし、最後は喧嘩腰になってしまうんです。喧嘩したって、何も生まれないのに。

 ある日、試しに、会議室ではなくカジュアルな雰囲気のレストランを使ってみたところ、言いたいことはきちんと話すのに、喧嘩にはならなかったんです。

 「そうなんです」「そうだよね」とお互いの意見を認め合う。最後には、「あなたのプランもオレのプランもどっちもいいよね。だって目指すものは一緒なんだから」と、友好的に締めくくることができたんです。その時、僕が作りたい店の姿が、ぼんやりと見えてきました。

 議論の場は、借景が大事です。これから先、会議やミーティングの場としてレストランやカフェが使われる機会が増えていくでしょう。

 様々な人がお互いの思いや意見を尊重しながら、和やかに時間を過ごせる空間が大切になってくると確信し、1995年、僕は大前研一事務所を辞めて独立し、コミュニティの拠点になる場作りに取りかかりました。

インタビュー後編では、楠本氏が試行錯誤を繰り返しながら展開した「場づくり」に迫る。

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